この記事について: 移住の「決断」までを書いた前回の記事の続きです。今回は、決めたあとに待っていた、まったく地味で、まったく泥くさい準備の話を書きます。制度の正解ではなく、一家庭が実際にどう手を動かしたかの記録です。

決断のあとに待っていたのは、ロマンではなく作業だった

「オランダに移住する」と決めたとき、私の頭の中にあったのは、運河沿いの街並みや、英語で学ぶ子どもの姿でした。けれど、その翌日から目の前に現れたのは、まったく違う風景です。段ボールは何箱いるのか。空港までどうやって運ぶのか。生まれてくる子は、いつ飛行機に乗せられるのか。日本に残す家はどうするのか。

移住という言葉は壮大ですが、その中身の9割は、こういう地味な意思決定の積み重ねでした。この記事では、私が実際に悩み、電話をかけ、見積もりを並べ、手を動かした準備の数々を、できるだけそのまま書き残します。これから移住する方が「あ、こういうことを考えればいいのか」と、自分の作業に分解できるように。

妊娠と渡航のタイミング、というロマンのない計算

私たちの準備が、ふつうの引っ越しと決定的に違ったのは、移住の計画と並行して、新しい家族が増えることが見えていた点です。

ここで現実が立ちはだかります。妊娠後期になると、飛行機に乗れなくなる。 航空会社の規定や、万一のことを考えれば、臨月に近い体で長距離フライトに臨むのは現実的ではありません。妊娠週数によっては「機内ではもう助けられない」段階に入ってしまう。つまり私たちは、「いつ生まれるか」という、自分たちでは完全にはコントロールできない予定を軸に、渡航のタイミングを設計しなければなりませんでした。

出産を日本で終えてから渡るのか、それとも先に渡るのか。生まれる時期の見通しと、渡航で動ける窓を、カレンダーの上で何度も重ね合わせました。ロマンチックな移住の夢の裏側で、私たちがやっていたのは、こういうきわめて現実的なパズルです。

体験メモ:妊娠を抱えた移住で、最初に決めるべきだったこと

振り返って思うのは、「出産をどこで、いつ迎えるか」を最初に固定してしまえば、ほかの予定(渡航日・荷物の発送・住居の入居)はその一点から逆算できた、ということです。不確定な大イベントが一つあるなら、それを軸に据える。これは移住に限らず、大きな段取りの基本だと痛感しました。

段ボールを、メーカーに特注した話

笑われそうですが、私が移住準備でいちばん時間をかけたことのひとつが、段ボールでした。

家族の生活をまるごと運ぶとなると、市販の段ボールでは心もとない。しかも航空会社には、預け入れ荷物のサイズと重量に細かい規定があります。多くの航空会社では、預け入れ1個あたり「三辺の和158cm以内・23kgまで」が基準とされていますが、航空会社・便種・クラスによって異なります。この枠を1ミリでも超えれば超過料金、あるいは預けられない。逆に言えば、利用する航空会社の規定サイズぎりぎりまで使える箱を用意できれば、荷物の効率は最大になります(規定は必ず利用航空会社の公式情報で確認してください)。

そこで私は、最初はプラダンで自作することまで考えました。家族で日本とオランダを往復するときに再利用できるように、と。最終的には、段ボール専門のメーカーに、規定サイズに合わせた箱を特注で発注しました。「たかが箱」と思うかもしれませんが、家一軒分の荷物を国外へ運ぶとき、この箱の精度が、超過料金にもパッキングの手間にも直結します。

「空港まで、この荷物をどう運ぶ」問題

箱が決まると、次の問題が現れます。その大量の段ボールを、当日どうやって空港まで運ぶのか。

家族全員ぶんの生活道具を詰めた箱が、いくつも積み上がっています。子どもを連れ、身重の家族と一緒に、これを公共交通で運ぶのは非現実的です。私はここで、考えられる手段をひとつずつ比較しました。

  • レンタカーで自分たちで運ぶ(カーシェアも含めて検討)
  • 宅配便で空港に事前に送る(クレジットカードの付帯サービスで無料になる手荷物宅配も調べました)
  • 運送会社の「引っ越し+空港搬入」のような便を頼む

電話で見積もりを取り、規定を確認し、消去法で詰めていきました。最終的に私が選んだのは、こうした荷物をまとめて運んでくれる便を使う方法でした。ついでに言えば、「どうせ最後だから、東京を少し観光しながら空港に向かおうか」などと、感傷的なことも考えていました。引っ越しの当日は、家族にとって日本での最後の一日でもあるからです。

生まれてくる子を連れた「帰国便」まで、先回りして考えた

これは少し気の早い話に聞こえるかもしれません。けれど私たちは、渡航だけでなく、いつか家族で日本に帰る便のことまで、先回りして調べていました。 子どもが増えた状態での長距離移動は、それだけ難易度が上がるからです。

具体的には、乳児を寝かせられるバシネット(壁に取りつける簡易ベッド)のある座席をどう確保するか。乳児のパスポートの名前のスペルが、航空券の表記と完全に一致しているか(ここがずれると搭乗できないことがあります)。家族の人数ぶんの座席と、合計いくつになる荷物の数。こうしたことを、航空会社に何度も電話して確認しました。

マイルの計算も、徹底的にやりました。航空会社の上級会員資格を維持できれば、座席指定や荷物で家族移動がずっと楽になります。けれど現実は厳しく、ある航空会社で試算したら「家族でこの便を年に何往復しても、上のステータスにはとても届かない。逆算すると、何年も乗り続けないと必要なポイントは貯まらない」という結果が出て、思わず天を仰ぎました。最終的には「この航空会社にこだわるのはやめよう」という、きわめて実利的な結論に落ち着きました。

体験メモ:航空会社選びは、移住の隠れた重要論点

移住は片道の話に見えて、実際には「日本との往復をどう続けるか」が長く効いてきます。どの航空連合・どの会員資格を軸にするかは、家族の移動コストと快適さを何年も左右します。私はここを甘く見ていて、あとから「最初に決めておけばよかった」と後悔した数少ない論点のひとつでした。

日本に残す家と、住民票をどうするか

移住は「日本を引き払う」こととイコールではありません。私たちは、日本に残す資産をどう扱うかも、移住準備の一部として設計しました。

家については、「売らずに残して、Airbnbなどで貸し出す」方向で考えました。空き家にして維持費だけ垂れ流すのではなく、家自体に働いてもらう発想です。あわせて、使わなくなる駐車場を時間貸しに出したり、車を個人間カーシェアに登録したりと、日本に残るものを「コストの源」から「小さな収入の源」に変えられないか、ひとつずつ検討しました。すべてが計画どおりにいくわけではありませんが、「残すものをどう活かすか」を移住前に決めておくと、出国後の精神的な負担がずいぶん軽くなります。

住民票をどうするかも、悩みどころでした。海外転出届を出すかどうかで、住民税・国民健康保険・国民年金といった日本側の義務が変わってきます。1年以上の海外居住では住民基本台帳法上、転出届(海外転出届)の提出が義務とされていますが、転出しないままだとこれらの支払いが続く。我が家の事情に照らして、何が最適かを考え抜きました。ここは各家庭の収入・資産・滞在予定によって正解が変わる、とても個別性の高い論点です(税や社会保険の具体的な判断は、必ず専門家や役所の最新情報で確認してください)。

準備を終えて思う、移住は「分解」がすべてだった

こうして書き出してみると、移住準備というのは、巨大な不安をひたすら小さな作業に分解していく営みだったと、あらためて思います。

「オランダに移住する」という一文は、頭の中ではあまりに大きく、つかみどころがありません。けれどそれを、段ボールのサイズ、空港までの動線、バシネットの予約、住民票の判断、家の活用方法……と、ひとつずつ手のひらサイズの作業に割っていくと、不安は「やればいいことのリスト」に変わっていきます。私が夜な夜なやっていたのは、結局この分解作業でした。

そして、この分解には膨大な「調べもの」が伴います。航空会社の規定、役所の手続き、現地の制度——どれも一次情報をあたらないと、思い込みで間違えます。私たちが「1stop.direct」でやっているのは、まさにこの調べものを、自分たちの実体験とともに記録して、後から来る人の作業を少しでも軽くすることです。

次は、私たちが移住前にいちばん念入りに調べた「オランダの出産と産後ケア」について書こうと思います。日本とはまるで違う、その仕組みの話です。