この記事について: これは制度の解説記事ではなく、私(仁田坂淳史)が家族とともにオランダ移住を決めるまでに何を考えたかの個人的な記録です。数字や制度には出典をつけていますが、判断の部分はあくまで一家庭の選択です。同じように迷っている方の、考える材料になればと思って書いています。
「移住」という言葉に、はじめは現実味がなかった
私たち家族がオランダへの移住を決断したのは、2025年の春のことでした。
いま振り返ると、その決断は突然降ってきたものではありません。何年も前から胸の奥にあった小さな違和感が、子どもの成長というタイムリミットに押されて、ある日とうとう輪郭を持った——そういう種類の決断でした。
最初に「海外で子育てをするかもしれない」と口にしたとき、自分でも現実味がありませんでした。仕事は日本にあり、家も日本にあり、親も友人も日本にいる。言葉の通じない国へ、しかも子どもを連れて出ていくというのは、人生の前提をひっくり返すような話です。それでも、考えれば考えるほど「このまま日本にいることのほうが、本当は大きな賭けなのではないか」という思いが強くなっていきました。
この記事では、私たちがなぜオランダだったのか、何を比べ、何に背中を押されたのかを、できるだけ正直に書き残します。結論を先に言えば、決め手は経済でも気候でもなく、子どもの教育と、その先にある人生の選択肢でした。
「失われた30年」を、子どもにも生きさせるのか
私が移住をまじめに考え始めた根っこには、日本という国の30年への、ある種のあきらめに近い感覚があります。
少し古い話をします。1989年、バブル経済の頂点で、世界の企業時価総額ランキングのトップ10のうち7社が日本企業でした。それが今では、トップ層に名を連ねる日本企業はトヨタ自動車くらい、という有様です。私が社会に出てから見てきたのは、ずっと「縮んでいく国」の姿でした。給料は上がらず、円は弱くなり、人口は減っていく。悲観したいわけではありません。ただ、事実として、私が子どもの頃に大人たちが持っていた「来年は今年よりよくなる」という前提は、もう存在しないのだと感じていました。
そこで自分に問うたのが、ひとつのシンプルな問いでした。
「この縮んでいく国の前提を、自分の子どもにも、もう一度生きさせるのか?」
私自身は中学受験ではなく、大学受験を経て筑波大学に進みました。決して悪い道ではありませんでしたが、正直に言えば、自分の周囲を見渡しても、その学歴から華々しいキャリアを歩んでいる人はごくわずかです。日本国内の、日本語だけで完結する競争のなかで、いい学校に入っていい会社に入る——その勝ちパターンそのものが、もう次の世代には通用しないのではないか。そう思ったとき、子どもに用意してあげたいのは「日本のなかでの少し上の椅子」ではなく、「世界のどこででも生きていける足場」なのだと、自分の中ではっきりしました。
体験メモ:なぜ国を出る、という発想になったのか
転職や引っ越しではなく「国ごと変える」という発想は、私の中ではそれほど飛躍ではありませんでした。仕事柄、世界はもっとフラットに繋がっていると感じる場面が多かったからです。問題は「自分が動けるか」ではなく「家族で動けるか」でした。だからこの決断は、私個人の挑戦というより、家族でひとつのチームになれるかどうかの話でした。
教育のコストを、日本と並べて書き出してみた
感情だけで国は移れません。私は夜の机で、子どもの教育にかかるお金を、日本とオランダで愚直に書き出してみました。コーヒーを横に置いて、ノートに数字を並べていく作業です。
書き出してみて、いちばん驚いたのは大学の学費でした。
- オランダの大学の学費は、平均すると年間20万円程度。
- 一方、日本の国公立大学は年間50万円台から、私立はさらに高くなります。
そして、インターナショナルスクールの比較がさらに衝撃的でした。
- 日本でインターに通わせると、年間160〜200万円ほどかかります。
- ところがオランダなら、英語で学べる環境でも年間50万円ほどで収まるケースがある。
しかもオランダは、英語の普及率が90%以上と言われる国です(PwCのレポートでも、英語で生活・ビジネスが完結する環境として紹介されています)。つまり、日本でインター教育に払う金額のおよそ4分の1で、英語環境の教育を子どもに与えられる——そういう計算が、私のノートの上に現れました。
もちろん、移住には引っ越し費用も住居費もかかります。生活コスト全体で見ればオランダが安いわけでは決してありません。それでも「子どもが英語で学び、世界のどこの大学にも進める可能性」を、日本でインターに通わせるよりも軽い負担で用意できるのなら、これは検討に値する、と思いました。数字は、私の背中を確かに押しました。
なぜ「オランダ」だったのか
「教育のために海外」と決めても、行き先の候補はいくつもありました。私たちがオランダを選んだ理由は、大きく分けて3つあります。
1. ビザが、現実的に取れる国だった
どれほど教育が充実した国でも、滞在許可が下りなければ住むことはできません。私が国を比較するときに最優先で見たのは、実はこの「ビザの取りやすさ」でした。理想を並べても、入れない国は候補から消えます。オランダは、この点で現実的に道が見える国でした。
2. 英語で暮らせて、子どもが英語で育つ
オランダ人の英語力について、現地を知る知人がこんな言い方をしていたのが忘れられません。「漢字が書けない日本人が日本にいないのと同じレベルで、オランダ人は英語が喋れる」。大げさに聞こえるかもしれませんが、英語が事実上の第二言語として機能している国だということです。子どもにとって、生活そのものが英語の学校になる。これは大きな魅力でした。
3. ヨーロッパ・世界への足場になる
オランダはEUの中心に位置し、ヨーロッパはもちろん、アフリカやアメリカ方面へのアクセスもよい国です。私には事業上の関心もありましたが、それ以上に「子どもが将来、世界のどこへでも踏み出せる場所に立たせてあげたい」という気持ちがありました。オランダはその足場として、地理的にも制度的にも理にかなっていました。
調べるほど好きになった、オランダの教育観
行き先を決めてから、私はオランダの教育制度をかなり調べました。調べれば調べるほど、「これは数字の問題じゃないな」と思うようになりました。
たとえば、オランダの小学校には学区がありません。住んでいる場所に縛られず、どの学校でも選べる。人気のない学校は生徒が集まらず淘汰されるので、結果として「残っている学校はどこも一定以上の質を保っている」という構造になっています。評価のしかたも、他人と比べる相対評価ではなく、その子自身の成長を見る個人内評価が中心だと聞きました。我慢や忍耐、従順さを過度に求めない。飛び級も留年も転校も、わりあい柔軟に行われる。
そして、ひとつ、移住を考えるなかで私の頭に残った小さな疑問があります。日本では当たり前のように利用される「学童」について、私はこんなふうに思っていました。
学童って、預かり時間も短いし、それなら親と過ごす時間を増やしたほうがいいんじゃないか?
正解があるとは思いません。ただ、「当たり前」を一度ぜんぶ並べ直して、自分の頭で選び直したい——その気持ちが、移住という大きな選択の背中を押していたのは確かです。オランダの「人と比べない」「勝ち組・負け組という言葉がない」という空気感は、私が子どもに渡したいものと、不思議とよく重なりました。
妻と、生まれてくる子と、家族というチーム
この決断は、私ひとりのものではありませんでした。
妻はもともと専門職で、オランダでも資格を活かして働く道を、移住の準備と並行して調べていました(オランダには日本の医療資格を書き換えて働ける制度があり、語学要件はかなり高いものの、道はあります)。私たちには子どもがいて、さらに移住の計画の渦中で、新しい家族が増えることも見据えていました。妊娠と渡航のタイミングをどう重ねるか——これは後日、別の記事に詳しく書きます——という、まったく現実的で、まったくロマンのない計算もしました。
家族で何度も話したのは、「うまくいかなかったらどうするか」でした。私たちが出した答えはシンプルです。だめだったら、家族そろって帰ってくればいい。 いちばん大事なのは、いい国に住むことではなく、家族が一緒にいること。ワンチームでいること。この前提を全員で握れたから、私たちは前に進めました。
「行ってから決める」ことのほうが、よほど自然だった
移住を決めたあと、先に同じ道を歩んだ知人たちの言葉が、たびたび私を支えてくれました。
ある人は「オランダに一度も行かないまま移住を決めた。下見に行っても、どうせ決断は変わらないと思ったから」と言いました。別の人は「行かなければ、10年後も同じ生活をしていたと思う。40代になってから人生を一度ゼロにする体力はない。でも30代の今なら、ゼロからオランダで挑戦して、だめならもう一度日本に戻ってくる体力もある」と話してくれました。
私はこの「体力があるうちに動く」という感覚に、強く共感しました。完璧に準備してから動くのではなく、動きながら整える。アウトプットもアウトカムも、結局それで変わらない——この本質的な割り切りが、私の背中を最後に押しました。
いま、同じ場所で迷っている人へ
ここまで読んでくださった方の多くは、おそらく今、私が数年前に立っていたのと同じ場所に立っているのだと思います。日本でこのまま子育てを続けるべきか、それとも思い切って外に出るべきか。仕事は、家は、お金は、言葉は——不安の種は、数え上げればきりがありません。
私が言えるのは、ひとつだけです。不安の正体は、たいてい「ぼんやりしていること」そのものです。 学費がいくらかかるのか、ビザはどうやって取るのか、住む場所はどう探すのか。ひとつずつ書き出して、数字と手順に変えていくと、巨大に見えた不安は、対処できる作業の山に変わっていきます。私が夜の机でやっていたのは、まさにそれでした。
この「1stop.direct」では、私たち自身が一次情報をあたって調べ、つまずいた経験を、できるだけ具体的に記事にしています。私たちの決断があなたの決断と同じである必要はまったくありません。ただ、あなたが自分の頭で選び直すための材料になれたなら、この記録を書いた意味があります。
次の記事では、移住を「決めてから」、実際に家族で飛行機に乗るまでに何をしたのか——ダンボールの手配からマイルの計算まで、まったく泥くさい準備の全記録を書きます。